あなただけじゃない、最初はみんな不安だった。障がいをもってうまれた赤ちゃんのご両親へ
うまれつき、指が1本・2本・3本・4本。
少なかったり、短かったり、大きかったり、なかったり、多かったり…
多くの人と違う手足のカタチでうまれてきた子どもたち、家族や当事者を支援しているのがHand&Foot(はんど あんど ふっと)です。
Hand&Footには、
落ち込んでしまう、泣いてしまう、不安でいっぱい、これからどうしたらいいか分からない、どうやって乗り越えれば良いのかわからない・・・
そんなメールが、お父さん・お母さんから、毎日たくさん届きます。
ちがいはきっと、四つ葉のクローバー。障がいをもってうまれた赤ちゃんのお父さん・お母さんへのメッセージをあつめました🍀✨
気持ちがなかなか元気になれなかったり、
誰にも言えない気持ちを心のなかにずっと持っていたり、
ひとりこっそり泣いてしまったり、
ただただ自分を責めてしまったり。
まだ小さな赤ちゃんを目の前にすると、不安だらけで頭の中がいっぱいになってしまう気持ちがとてもよくわかります。
私自身、右手の指が欠損してうまれてきた娘がおりますが、生まれたときはそれはそれは心配で…
もちろん今も心配は尽きませんが、それでも生まれたばかりの頃と比べると、すっかり気持ちも前向きになり、成長する娘に幸せをたくさんもらっている毎日です。
前向きになれたきっかけは、娘の成長もそうですが、ほかにも「先が少しでも見える」ことや「先輩ママ・パパさん、当事者の方からの言葉」たちの存在がとても大きかったです。
ちがいをもってうまれた赤ちゃんのご両親へ想いを届けたい!
そんな気持ちで、当事者の方からまだ小さな赤ちゃんのご両親へ向けて。
生まれたときのことや前向きになったきっかけなど、ちょっと先行く先輩ママ・パパより心強いメッセージをお届けします📫✨
理解してくれる人が必ず身近にいます(roomさん/現在5歳のお子さんのご両親)
初めての出産。
順調だと言われていたので、何の疑いもなく赤ちゃんとの生活を楽しみにしていました。
助産師さんから、「ちょっとお手てがね…」と、言われた息子の左手には、指が途中からありませんでした。
泣けませんでした。泣けたのは産後3日目。自分で息子の指の診断名を調べ、突き止めた瞬間でした。
起きている時は未来が不安でどうにかならないかスマホにかじりつき、寝ても悪夢で目が覚める毎日。
正直、消えたい、死にたい気持ちで過ごしていました。
気持ちが前向きになったきっかけ
友人の言葉「指があっても無くても、いいヤツは好きだし、イヤなヤツは嫌いだ」です。
死ぬ気があるなら、その前に死ぬ気でこの子を守ってやろう!と思えました。
多くの人とちがいをもってうまれてきたお子さんのご両親へ
色々と起こります。だけど、理解してくれる人が必ず身近にいます。
その起こるほとんどは、親の気持ちの持ち方で乗り越えられるものだと感じます。
息子はまだ5歳で、確かにこれからが心配ではあるけど、私は息子を絶対に守って、いいヤツに育てます!!
頑張りましょう。
楽しく過ごすも過ごさないも全て自分次第(あゆゆさん/42歳当事者)
嫌だった事は、じゃんけんや写真撮影でのピースサイン・・
5本指手袋が使えない、風紀検査で手の指を見せる事、改造したリコーダーの使用、スーパーでお釣りをもらう時、電車やバスでつり革を持つことなど・・・
若い頃は色々悩んだ時期もありました。
気持ちが前向きになったきっかけ
両親&妹達の存在。
いつも明るく、何事にもポジティブな母。
人生は一度きり。やりたい事はやらないと。ケセラセラ(なるようになるさ)が口癖。
指の事で悩んでも家族に打ち明ける事は無かったと思います。
自分でもなぜかは分かりませんが・・心配かけたくなかったのかな〜⁈
外では周りの目が気になったりする事もありましたが、家では何も気にすることなく楽しく過ごしていました。一番落ち着く場所でした。
多くの人とちがいをもってうまれてきたお子さんのご両親へ
何かの本で、神様は乗り越えられる試練しか人間に与えないみたいな事を読んだことがあります。
私は、スーパーポジティブな母の影響もあってか悩んでもあまりクヨクヨしない方だと思います。
人生一度きり。
楽しく過ごすも過ごさないも全て自分次第だと思っています。
子供さんには、色々な世界を見せ、経験、体験させてあげて欲しいと思います。
私も両親に様々な経験をさせてもらいました。学生時代のアメリカでのホームステイは、世界に興味を持つきっかけになり、社会人になってからは旅行が趣味になりました。
一年間の海外生活もとても良い思い出です。
様々な経験で得た人との出会いは宝です。
楽しく毎日過ごしていると、自分の悩んでいる事がちっぽけに思えることが多かったです。
とは言っても、5体満足で生まれていれば・・・と思ったこともありました。
でも生まれてればどうだったんだろう?
今の生活と何か違うのかな?
変わりはないと思います。
3本の指での生活は何の不自由もありません。
精神的に違うのかな〜。
若い頃は周りにどう思われてるのか気になっていました。
でも案外、周りの人って自分が思ってるほど何も思ってないんですよね(笑)
次第に気になり損だと思うようになりました。
私は、結婚し子供を授かりました。
正直、子供が産まれるまで手に障害があったらと不安でした。
障害があってもなくても同じなんて思っていても実際は矛盾した自分が・・
これからお子さん自身が成長し悩むことが出てくると思います。
そんな時は、ただ側で見守ってあげてください。
お子さん自身で乗り越え成長されていくと思います。
長々と失礼しました。
全て私の考えです。気分を悪くされる方がいたら申し訳ありません。
恥ずかしいことでもなければ、悪いことでもありません(おとママさん/現在7歳、1年生のお子さんのご両親)
我が家のたった一人の愛娘には、先天性の障がいがあります。
それは、「橈側列形成不全 (とうそくれつけいせいふぜん)」という、肘から先の橈骨 (とうこつ)が無く、それに伴い両手の親指が欠損しているという障がいを持って生まれました。
それを知った時、出産の喜びから一転、絶望を味わいました。
おもちゃを持てないんじゃないか、絵も描けないんじゃないか、いろんなことが絶望に変わり、一旦は全ての希望を手放しました。
我が家の子育ては、そこからのスタート。
主人と話し合い、劣等感をもって生きて欲しくないので、つつみ隠さず、敢えて人の集まるレストランに行ったり、前の職場の友人達を自宅に招いたり、私の習い事の仲間に会わせたり、多くの人と関わるような環境で育てました。
それはなかなか勇気の要ることで、心配や不安は常に付きまとい、娘の障がいを人に話すときには涙が出たり。
辛い思いもしましたが、ある時、(心配したらきりがない、先の事を考えて心配するのはやめよう。その時その時で対処すればいいんだ)と、気持ちを切り替えてからはかなり楽になり、娘も成長とともに着替えやボタン掛け、絵を描いたりハサミを使って工作したりと、細かい作業も出来る様になりました。
明るく好奇心旺盛で積極的な性格の娘になり、私達家族を和ませてくれています。
そんな私達がここまでこられたのも、幼稚園のお蔭でもあります。
初めての集団生活には当然不安がありましたが、関わる先生方は、娘の出来る事、出来ない事を尊重してくださり、相談事では一緒に涙を流してくださったり、親としてどれほど安心して信頼することができたことか。
そして、娘を見守り声掛けをしてくれたお母さん達の優しさ、あたたかさにどれだけ支えられたことか。
昨年9月の親児の会の「さんま祭り」2次会で感動したことがありました。
園長先生から年長の剣道で、手の障がいでギュッと握れない娘にとって竹刀を振るのが難しいとの様子を聞きました。
そんな娘の為に、竹刀の内側を園長先生ご自身で削って、軽くした竹刀を用意してくださったこと、でも娘本人が「竹刀を持ちづらい」と言うまでは、黙って様子を見ているとのお話を聞いた時、涙が出るほど感動したことは、一生忘れません。
たった一人の為に手間を惜しまず、そして個人を尊重してくださった園長先生、寄り添ってくださった全ての先生方、お母さん方に心から感謝しています。
娘の手を見る時、「こんな小さい手でいろいろ頑張って偉いね。あなたの手、お母さんは大好き!」と言って、小さな事でも喜べる親でありたいと思っています。
よく赤ちゃんの小さい手を紅葉に例えますが、4本指の我が娘の手は、羽に見えて愛おしい。
その羽は、親として成長するよう導いてくれる羽なのかもしれません。
笑っただけで、寝返りしただけで、あんなに喜んでいた赤ちゃん時代の気持ち、期待しすぎず、諦めずに娘を見守っていきたいと思います。
気持ちが前向きになったきっかけ
叔父からの言葉に救われました。
「ある確率で生まれてくる障がいを持った子供は、(この人なら可愛がってくれる)と親を選んで生まれくるそう。選ばれた親として、胸を張ってください。」 この言葉に光を感じ、前向きになれました。
多くの人とちがいをもってうまれてきたお子さんのご両親へ
先々のことを考えて心配し過ぎるより、何か起こったときに対処する方が、気持ちが楽になります。
先天性の障がいは、子供自身がその障がいを乗り越える能力があるので、親が先回りして守り過ぎないようにした方がいいと思います。
そして、子供の障がいは、恥ずかしいことでもなければ、悪いことでもありません。
時には人様の手助けが必要ですが、認知してもらうべく、オープンな環境にしていれば、周りの理解も得られ、何より障がいをもつお子さん自身が劣等感を持たなくて済むと思うのです。
普通の親子さんよりも、精神的なタフさが必要になります。既にそのタフさが備わっているからこそ、個性ある子供を授かったのかもしれません。
得意な事を伸ばしてあげて下さい(強さん/48歳当事者)
いじめもあり使いにくい合短指です。とにかくその子にはその子なりの使命があります。痛みをわかるようになったりすると思います。
私自身過保護に育ち洗濯、炊事出来ません。
可能であるならば過保護にならず訓練して出来るようにしてあげて下さい。
手術をする前に記録として写真を撮っておいて下さい。昔はどうだったの?という時があるかと思います。
隠すような事もしないでください。記憶として残りイヤな思いをします。今もたまに出ます。
気持ちが前向きになったきっかけ
いじめがありました。でも、自身受け入れる事が大切です。
時間がかかったとしても障害を受け入れる事が大切です。
多くの人とちがいをもってうまれてきたお子さんのご両親へ
その子にはその子なりの使命があります。痛みをわかるようになり、優しくなれると思います。私自身やってしまいますが、比べないこと。
その子の得意な事を伸ばしてあげて下さい。
「あぁ、普通に育てていいんだ。」思っている以上に子供は逞しく育ってくれます(ぴーたんさん/現在4歳のお子さんのご両親)
我が家の娘は橈側列形成不全です。
親指が小さくて小さくて、左側は人差し指の途中からちょこんと小枝のように生えていて、右側は対立運動が出来ない状態のグローブ状に小さめな親指がついておりました。
娘は帝王切開で生まれてきたのですが、産まれたときには何も知らされませんでした。
私と主人の他に主人の両親と私の母も来ており、指はおくるみのようなもので隠れていたので、しばらくは和気あいあいと過ごしていたのですが、主人の母が娘の指に気づき、その後は状況一変して暗い雰囲気になったことを覚えております。
本来生まれてきておめでとうなのに、誰からも娘はおめでとうと言ってもらえず、私もおめでとうと思えずにいた、そんな娘の誕生した日を今でも悔いております。
娘の場合、そのような症状があったため、翌日有無を言わさず新生児スクリーニング検査で聴力検査もされ、両耳共にリファー(難聴疑いあり)と聞かされ、それはそれは悲しくて、こんなに悲しいことがあって良いのかと言うほど泣きました。
親は、自分には出来ることがこの子に出来ないのでは?と考えると、とても悲しくなり、申し訳なくも思いますよね。
アレが出来ないのでは?これも出来ないのでは?
私は素敵な音楽も聴けるのにこの子の耳には届かないの?
遊園地に遊びに行ってもジェットコースターとかバーを掴めないから一緒に楽しめないの?
とかそれはもう色々考えました。
この後娘が1歳になるまでに目の外転不全、股関節亜脱臼、低身長などなど他にも症状が見えてきました。
しかしどの症状も軽かった為、病院に行くたびに「しかし娘さんは不幸中の幸いだね。」と言われ、その言葉が娘が不良品と言われているように聞こえてしまい、とても苦しかったことを記憶しております。
病院に行けば何かまだ悪いことを言われるのではないか、また傷付けられる言葉を言われるのではないか、そう思い少々鬱のようになっておりました。
そこまで心配していた娘ですが、今どうなったと思いますか?
まぁ親の言うことは何でもイヤイヤ言って、何かあるとすぐダッコ!と言い、お菓子の袋を開けただけですぐにすっ飛んできて、お着替えもトイレも自分で出来る、陽気な子に育ちました。笑
手は手術を3回して左手が4本、右手は5本、握る掴む摘む機能を習得する為にリハビリ中です。
お耳はその後片耳難聴だったとわかり、現在聴こえと言葉の教室に月一でかよってます。
もちろん幼稚園にも元気に通っています。
出来ること、出来ないこと、やはり出てきます。
最近は術後で手に力が入らないのか、手洗い場の蛇口のハンドルを閉めることができず泣いていたと先生から報告を受けました。
しかし出来ないと言うことで娘が傷ついて泣いたことは今のところこれくらいのようでして、あとは自分なりに受け入れ気持ちに折り合いをつけているようです。
指のことで傷つくこともあるかと思うのですが、それも心のお勉強ですね。
おかげで優しい子に育ったのではないかなと親バカですが思っております。笑
そして「何で4本なの?」といつ聞かれるかと身構えてましたが、意外にも「こっちは4本なのよね!」と勝手に受け入れており、拍子抜けしました。
やはり社会と関わると様々あるかとも思いますが、今は周りに支えて頂きとても穏やかで幸せな生活を送っております。
気持ちが前向きになったきっかけ
1歳を過ぎたあたりから段々目の前にいる娘のことがわかってきたのもあり、不安に思うことや悲しく思うことは減ったように思います。
きっかけは、娘の意思が出てきたこと、そして療育ではないけれど、聴こえと言葉の教室に通い始めたことです。
娘を一人間として扱ってくれて、娘のことを丁寧にみてくれて、嬉しいなと思ったことで前向きになりました。
そこのお教室の理事長先生が「この子たちはちょっと耳が遠いだけで、普通の子供なのよ。子供は子供らしく育てなさいね。」と言ってくれて、私の中で「あぁ、普通に育てていいんだ。」と気付けたことが鬱々とした状態から脱却出来た大きなきっかけだったのではないかなと思います。
そして我が子のおててをどのように受け入れたかについてですが、上記にあるように娘が産まれた日は周りがお葬式みたいな雰囲気になっていたので、娘への申し訳なさ、娘の誕生を心待ちにしていた親達への申し訳なさでいっぱいになっておりました。
しかし3日後にようやく私の父が娘を見にきまして、事情も知っていたのですが、娘の手を見るなり「こんなかわいい手なのにこのままじゃいけないのかね?これは成長すると不自由なもんなのかね?」と言ってくれて、そりゃ不自由だわと思うと共に「あぁ、かわいいと思っていいんだ。」と嬉しく思いました。
なので早い段階から娘の手については「かわいいおてて!」と思えるようになっており、父には感謝です。
以上2つが私を心や考え方を変えてくれたきっかけの言葉でした。
多くの人とちがいをもってうまれてきたお子さんのご両親へ
先にも書いたお教室の理事長先生の言ってくれた言葉ですが、これは四肢障害を持ってる子供でも同じことだと思います。
「少し足や手が不自由なだけの普通の子。普通に子供らしくのびのびと育てていこう。」
このように思えるようになるには、何かきっかけが必要なのではないかなと感じます。
心理学みたいな話になりますが、やはり不自由なところがあるとわかると「うちの子はこの症状があるからアレが出来ないコレも出来ない」=「普通に育てちゃダメなの?きっとダメなんだよね。」と「出来ない、ダメ、無理」の思考になっていってしまうのは仕方のないことなのかなと思います。
まだお子様が小さい親御さんは特に、今はそのように思って親である責任も強くのしかかってきて、真っ暗闇の中で手探り状態ですよね。
でも、私達が思っている以上に子供は逞しく育ってくれます。
私は娘が0歳の時代、全くかわいいと思う余裕がなかったので、ここまで逞しく成長してくれるとわかっていたのなら、その時娘を舐め回してかわいいかわいいかわいい〜と育てたのに!と後悔している程、心配していたことが良い意味で裏目に出ております。
たしかに病院通いやリハビリだったりと手間はかかるかと思いますが、親子として家族として楽しめることは他の家庭と変わりないと思います。
周りを頼ったり、主治医の先生を信じて、今日から少しずつ
「少し足や手が不自由なだけの普通の子。普通に子供らしくのびのびと育てていこう。普通に育てていいんだ!」
そう思っていって下さるきっかけになれれば嬉しいです。
努力すれば不可能は有りません(コンノさん/50代当事者)
合指で短指の為楽器は見るのもいやだった。かなりのひねくれ者でした😄
気持ちが前向きになったきっかけ
生まれて来て、更に今生きている事が実感出来た時。
オートバイ乗りとして、走ると言う事は生きると言う事だ!
多くの人とちがいをもってうまれてきたお子さんのご両親へ
特別な目で見ず、とにかく普通に接してあげてください。
やれば出来る、努力すれば不可能は有りません。知人で1本足の自転車乗りの人がいます。オーストラリア横断や日本縦断もしてました。
ゆっくり、自分のペースでいい(ばるちゃんさん/現在2歳5ヶ月のお子さんのご両親)
産まれた直後はただただ自分を責めました。
この先どうなるんだろうという不安となぜ自分の子がという気持ちでいっぱいでしたが、親の心配や不安をよそに、子供が何事もなく成長していく姿を見て勉強されられる事ばかりです。
息子のおかげで見る世界も広がり、優しい人間になれた気がします。
気持ちが前向きになったきっかけ
心配していたハイハイも、ご飯も、不自由な様子なくこなしていく息子の姿が1番のきっかけです!
多くの人とちがいをもってうまれてきたお子さんのご両親へ
産まれたばかりの気持ちはきっとみんな同じで、特に母親は自分のせいで…ってなにもかも投げ出したくなると思います。私もそうでした。
早く全てを受け入れて、前向きになれるのが強いわけではありません。
ゆっくり、自分のペースでいいと思います!隠したっていいと思います!
自分の気持ちが落ちつくまでゆっくりしてください。それでもただただ間違いなく言えることは、我が子はいちばん可愛いですから(´♡ω♡`)/
頑張りすぎて自分が疲れてしまわないように(さとさん/現在12歳・5歳のお子さんのご両親)
上の子は右足小指の多合趾症で2回の手術。下の子は両手の多合指で2回の手術。
計4回の入院手術を経験しました。
現在は2人とも日常生活にほとんど支障はなく、元気な毎日を過ごしています。年に1度の通院です。
しかし、遺伝性の可能性も医師から指摘されており、子供たちが成長し結婚、そして親になる時までを考えると現在も心配は尽きません。
気持ちが前向きになったきっかけ
日常の中の子供たちの笑顔、一緒に笑うこと、一緒に美味しいものを食べること。
それが前に進むための、1日1日を生きるための何よりの力になっています。
不安は常につきまといますが、なるべくそれを考えなくてすむように子供と楽しく向き合うようにしています。それと、1人でゆっくりする時間を持つことも必須。
多くの人とちがいをもってうまれてきたお子さんのご両親へ
頑張りすぎて自分が疲れてしまわないように、毎日を過ごしていきましょう。
悩みや不安は無くなることはありませんが、自分の気持ちを伝えるだけで、誰かと共有したり、誰かの言葉に救われたりすることがきっとあります。助けて欲しい時は助けてと言いましょう。
考え方一つで全てが変わる(ちはみさん/現在6歳のお子さんのご両親)
2012年2月7日 夕方15時45分頃 陣痛らしきもの。
嫌な予感がして夫に電話。長男を保育園まで迎えに行ってもらう。
16時15分頃 再び同じような痛みが。そして破水らしきもの。
病院に電話をすると「診察するから来て下さい。」との事。夫と長男が帰ってくるのを待って、3人で病院へ。
17時過ぎ 病院に到着。何だかお腹がどんどん痛くなる・・・。そのまま陣痛室で診察。やっぱり破水してるから、とこのまま入院。
それからあれよあれよと陣痛が進み、痛さはあっという間にMAX!
しばらくこらえるが「もう無理!」とナースコール。
分娩室が混み合っていて空きがなく、そのまま陣痛室で分娩の準備。
当初立ち会い出産には尻込み(?)していた夫。
助産師さんに「立ち会い希望でしたか?」と聞かれていたが私はそれどころじゃないので放っておいたら、そのまま立ち会うハメに。
さすが(?)2回目だからか、「次来る!」とか「は~、ちょっと休憩」なんて事が自然と頭をよぎり、特に指示される事も少なく・・・
19時56分 3回いきんだところで出てきました。
長男の時よりも確実に「自分で生んだ!出てきた!!」という感覚がありました。あっという間で我ながら「超安産!」
その頃夫はどうしてたのかは不明ですが・・・
夫の膝に抱っこされて長男はギャン泣き。どうやら怖かったらしい。夫はへその緒をチョキンとまでさせられていました。なかなか面白いお産でした。
そして・・・
生まれでてきた2番目の息子。
身長49cm、体重2930g、胸囲&頭囲31cm
元気いっぱいですが、ただ左手が手首から先がありません。指は豆のようなものが5つ。
手指欠損、または合指症というものです。
染色体や遺伝子レベルのものではなく、本当に「神様のいたずら」としか言いようがないもので、原因は特にないそうです。
体が作られる過程で、何故か次男の左手は出来なかったみたい。
お腹から出てきて抱っこした時にすぐに気がついて「あれ?」と思いすぐに反対の手を見たら指があったので「あー、指がないんだ。」と、今でも不思議だけど、冷静に思ったのを覚えています。
夫は先生から「奥さんには折をみて伝えます。今はショックを与えるかもしれないから・・・」と口止めされていた様子。
長男も心臓の弁が開ききってない疾患を持って生まれてきたのでその経験があるからか、検査の時も長男の時の方がよっぽど心配で大変だった記憶があります。一人目っていうのもあったのかもしれない。
次男の方はレントゲンだけだし、目に見えるから余計な不安がないと言うか。何だか不思議な感じだけど、どんよりと落ち込む事がなかった。
少し経って夫にもどう思ったか聞いてみた。
「まぁ、ショックもあるけど仕方ないよね。大学の先輩に同じように左手がない人がいたけど、他の人と同じように設計もできてたし、大丈夫じゃ?」
病院の先生も「こういう子は右手で何でも出来るようになるから義指も必要ないと思う。」
野球だって鉄棒だって出来るみたいだし、世の中にはピアニストやスキー選手もいる。ついつい出来ない事を心配してしてたけど、よく見渡せば出来る事ってたくさんある。
「五体満足で生んであげられなくてごめん。こんな体で生んでごめんね。」という思いをついつい抱えると思う。
私も少なからず思ったこと。でもネット上のある女性のブログを読んでハッとした。
「こんな体で生んでごめんね、とお母さんは言うけど、私にしてみればこんな体で生まれてきてごめんね、だよ。」
本当にそうだ。
次男が欲しいのは「ごめんね。」なんて言葉じゃない。
「ありがとう。大好きだよ!」って私が思わなくてどうする。
これからたくさんの事が待ってる。
想像もしてなかった辛い事もあるかもしれないし、 想像以上に愉快な事もあるかもしれない。
でもそれってきっと誰でも同じ事。
左手があってもなくても同じ事。
私が出来る事は楽しく愉快に生きて行けるように、 毎日を大事にしていくだけ。
次男は私を、私の家族を選んでお腹に来てくれた。
左手がなかった意味もこれからきっと分かるはず。
物事にはすべてに意味がある。
これから先もずーっとずーっと楽しみです!!
気持ちが前向きになったきっかけ
我に帰ったのはさっきも書いたある女性のブログ。自分の息子にこんな事を思わせてはダメだ!と強く思いました。
また、乗り越えたことなんかありません。乗り越えなきゃいけないのは、今の社会の目と考え方。それに気が付いたらどんどん自分から動くようになっていました。
多くの人とちがいをもってうまれてきたお子さんのご両親へ
すごく素敵で大好きな言葉に出会いました。
「障害って何か知ってる?四つ葉のクローバーと同じだよ。」
この表現を聞いた時は目から鱗で、色々な人に広めたいと思いました。
本当に考え方一つで、目の前の世界が変わり始めます。
指の数が多い、少ない、短い、大きい。
指の数って5本じゃないとダメでしょうか?
世界中の人気者のミッキーマウスだって、最強のピッコロ大魔王だって4本です。
不便な時はもちろんあります。
でも不便ってそんなにダメなことでしょうか?悪いこと?
そのおかげで色々なことにアンテナが伸びます。頭も使うし心も使う。思い切り生きている実感を得られます。
私は「今まで知らずに生きてきてたのがもったいない!」と思った世界がありました。
そんな出会いをくれた次男には感謝しかありません。
最高な世界をありがとう!
最高な人生をありがとう!
悲観的になっても仕方がないこと。
ただ、ある時気が付いて欲しい。
考え方一つで全てが変わる。
ほとんどが良い方向に。
それをどんどん広めないともったいない。
だって、多様な方が本当はみんなが生きやすいのだから。
あなたの子ども達も、あなたをきっと幸せにしてくれます。
あなたの子どもは、あなたのことが心から大好きなのですから。
\✨こちらも是非読んでください✨/
「右手の指が3本でうまれてきた女の子」
が主人公の絵本を製作しています
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NPO法人Hand&Footでは、生まれつき右手の指が3本の女の子のものがたりを制作しています。
「ふつうって何だろう?」
「多くの人と違うことはかわいそうなこと?」
この絵本を読んで得られる気づきの一つ一つが少しでも多く集まれば、世の中の「驚き」も変化していくと信じています。
この絵本と共に、「初めて会ったとき、どうかびっくりしないでね」そんな気持ちがたくさんの人に届くことを、子どもたちと共に願っています。
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